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K−バヤシ

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その時馬券は動いた

福島3R 日本による平和

自国の歴史を知れば ますます日本が好きになる!

パクスジャポニカ

馬名意味:日本による平和

かつてはパクスロマーナに始まりパクスモンゴリカ、パクスブリタニカそして今はパクスアメリカーナと呼ばれています。
超大国が出現することで戦争が激減して文化や経済などが行き来をして繁栄をもたらす訳です。
国内レベルで言えばパクストクガワーナがあり江戸260年の平和を実現しました。まぁ我が国の場合は戦国時代を除けば平和なので、比較しての話ですが、世界は戦争が当たり前ですから有難さはありますね。

ではパクスジャポニカは実現するのか?と言えば無理ですね。そもそも世界征服なんて考えませんから。田中上奏文みたいな偽書はありません。ただわが国民は間違いなく世界最高の民度を誇るので、パクスジャポニカが実現すれば今まで経験したことのない平和が来ると思います。我が国が支配下に置いた台湾にしろ朝鮮半島にしろ満洲にしろ、現地人が経験したことのない治安良好の国家になりました。世界からチャイナとロシアが消えてくれれば、勝手に世界平和は来るのですがね・・・・あとイスラム国家ね・・・・
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中京8R 日米開戦の仕掛人

自国の歴史を知れば ますます日本が好きになる!

フランクリン

フランクリン・デラノ・ルーズベルト

日米開戦及び第2次大戦開始時の米大統領。母親の実家であるデラノ家はチャイナでアヘンを密売していた麻薬商人。ニューディール政策で米国の社会主義者を大量に政府内に取り込んだだけでなく、拒み続けていたソ連との国交を強行した大統領でもある。これによりソ連のスパイがうじゃうじゃと米国内に入り込んでいき、政府の中にも浸透してしまったのです。ドイツとソ連のポーランド侵攻により第2次大戦が勃発すると、米国の若者を戦場には送らない!!などと言いながら日本に対して挑発行為をしている。真珠湾攻撃は卑怯な手段だと言いながらも、日本側の暗号は知っていたし、何よりも開戦2カ月前に日本を爆撃しようとしていた(JB355計画)チャイナに派遣していたフライングタイガーなる軍団を使い、爆撃機をチャイナの国旗に塗り替えて関西地区と首都近郊を爆撃対象としていたのだ。この時我が国は米国との戦争を回避しようとトップ会談まで考えていたのだが、その裏で米国はこんな計画を立てていたのです。つまり戦争やるき満々です。

日独の敗戦が濃厚になるとソ連のスターリンと勝手に戦後体制を決めている。東欧や満洲そして千島列島を勝手にソ連に渡したのはこいつです。これが決められたヤルタ会談にはソ連のスパイであるアルジャー・ヒスが随行しており、現在の北方領土問題の仕掛人と言われる。米国案では北方4島は日本で、中間は国際管理、北はソ連の領土と考えていたのだが、これを議題に持ち出さず結局はソ連の主張する全部俺のもん!!を実現させたのがアルジャー・ヒスだと言われる。ルーズベルトはヤルタ会談の直後に病死するのだが、開戦に至るまでの経緯やヤルタ会談のことはほぼ秘密にしていた。

ホワイト

ハリー・デクスター・ホワイト

フランクリン・デラノ・ルーズベルトの元で財務次官補を務めたソ連のスパイ。武器貸与法を作成してソ連に大量の武器援助をしている。我が国に対しては最後通牒となるハル・ノートを作成して日米交渉を断ち切り、我が国に戦争決断をさせている。日本の敗戦が近づくと我が国は終戦工作に出るのだが、これらを妨害してソ連が参戦するまでの時間稼ぎをしている。ソ連はヤルタ会談で満洲や千島列島の領有を勝手に約束されていたのだが、条件は日本への宣戦布告だったので、それまでの間我が国を降伏させないように妨害していたのです。戦後米国で吹き荒れた赤狩り(レッドパージ)でソ連のスパイと判定されたことで自ら命を絶つ。1995年に公開されたヴェノナ文書によりソ連のスパイだったことが確定した。

中京8R いよいよスタート地点

世界史を知れば ますます日本が好きになる!

ボナパルト

第1話:http://netkousakuin.blog93.fc2.com/blog-entry-52.html

前回はトゥーロン要塞の攻防戦で手柄を立てて、いよいよ表舞台に登場したナポレオンでした。
ところが翌年の1794年に大変なことになります。ナポレオンを取り立てたロベスピエールがテルミドール9日のクーデターでギロチン台へと送られたのです。あまりにもくそ真面目過ぎる性格が祟り、腐敗だらけのフランス政府内で粛正ばかりやっていたため、次は自分ではないかと恐怖する連中によりクーデターを起こされたのです。仕掛けたのはルイ16世の処刑に1票を投じた上にロベスピエールの手先として粛正に参加していたジョゼフ・フーシェだと言われています。彼はロベスピエールの命令によりリヨンで粛正をしていたのですが、あまりにやり過ぎたためロベスピエールに呼び出されてフーシェがギロチンに送られそうになっていたのです。実は2人はかつては親友でありフーシェはロベスピエールの妹と結婚寸前までいったことがあったのです。フーシェは昔のよしみで命乞いをするのですが通じません。この時にロベスピエールはフーシェを格下扱いしたため、すぐには殺さなかったのです。対してフーシェはかつてのロベスピエールではなく途轍もなく大きな、そして危険な存在に化けていることを悟りクーデターを計画したと言います。具体的にはロベスピエールに怯えている連中に対して、自分で作った粛正リストを見せては恐怖を煽りクーデターをやれせたのです。

ナポレオンはロベスピエール派ではないものの、彼に取り建てられたゆえに粛正リストに入ってしまったのです。本人も死を覚悟していたと言います。しかし運よく?パリで王党派の暴動が起きこれを鎮圧したことで粛正を逃れました。彼に鎮圧を命じたのは、この後の総裁政府の中心人物になるバラスです。バラスは自分の役職である国内軍総司令官にナポレオンを任命し、更に自分の愛人だったジョゼフィーヌまで紹介します。第1話のときもそうですが、ここまでのナポレオンはかなり運が良いですね。歴史上の英雄には何といっても運の強さが必要となるのです(ジョゼフィーヌは余計でしたが・・・・)ちなみにバラスはこの後のナポレオン時代を支え、更には壊していく人物も同時期に引き上げています。先に挙げたジョゼフ・フーシェも彼が私設スパイとして雇ったことが元になり、ナポレオン時代には警察大臣を3回も務めます。また敗戦後のフランスをたった一人で救ったタレイラン・ペリゴールも彼に拾われています。と言うかタレイランの場合は自分から接近したのですがね。

ここまでは運の強さでやってきたナポレオンでしたが、次からは彼の才能でのし上がり、それを見抜いたフーシェやタレイランが側近となり欧州を大混乱にしていく様を見ていきましょう!!

つづく

新潟1R ナポレオン時代を終わらせた1通の手紙

世界史を知れば ますます日本が好きになる!

パリからの

1813年10月16日に行われたライプツィヒの大会戦以降ほぼ敗走状態にあったフランス大陸軍ですが、所々でナポレオンの采配が冴えて小さな勝ちをまだ得ていました。露墺普を中心とする連合軍もこれには手を焼いておりなんとかナポレオンを倒したいと思っていましたし、当のナポレオン自体も俺を倒さねばフランスは落ちないと思い込んでいました。

そんな中フランスの警察大臣サブァリーからナポレオンに送られた手紙を連合軍が入手します。その中にはもうパリはボロボロなのでナポレオンが連合軍をパリから遠ざけてくれないと、民衆は連合軍に降伏してしまう、そんな内容でした。これにより連合軍はフランスの玉はナポレオンではなく首都パリだと気が付きます。同じ帝国であってもロシアは皇帝の持ち物。だからロシア戦役のような焦土作戦が出来るわけですが、フランスはナポレオンのものでもルイ王朝のものでもなくフランス国民のもの。その象徴がパリの都でありナポレオンもかつては十分にそのことはわかっていたのです。

連合軍が戦の要点を理解したとき、今度はナポレオンから皇后マリー・ルイーズに宛てた手紙を入手します。連合軍をパリから遠ざけるために陽動する旨の内容です。連合軍はナポレオンの作戦にハマった振りをするために少しだけ作戦に付き合う部隊を残し、大多数はパリへと侵攻してナポレオン時代を終わらせました。


阪神11R 今のお金の仕組み

自国の歴史を知れば ますます日本が好きになる!

ヒストリー

本日の目玉はクラッシック第1弾の皐月賞ですが、阪神メインにこのブログで取り上げた2頭が出ています。
シリーズとなっている⑧ヒストリーメイカーと⑮ケンシンコウですね。

謙信

今回は更に経済学に大きな功績を残したジョン・メイナード・ケインズが出ています。

ケインズ

この記事ではポスト・ケインズ派経済学の流れを汲むMMT学派についてです。

MMTとはModern Monetary Theory の頭文字を取ったもので、日本語に訳すと現代貨幣理論になります。
これでは漠然としか分かりませんので、わたしは今のお金の仕組みと呼んでいます。我が国で例えるなら江戸時代までの金貨・銀貨・銅貨の時代や明治以降の金本位制の時代とはお金の仕組みが違うのです。経済学は250年ほど前のアダム・スミスから発展を遂げているのですが、この250年でお金の仕組みは変化しているのに、経済学者はその変化を考慮せずに経済理論を考えてきました。結果的に理論と実態が合わなくなったのです。そこで誕生したのがMMT学派で、お金の仕組みが変わったのだから、それに基づいた理論を構築しましょうとなった訳です。

昔のお金の仕組みを簡単に言いますと、発行量と流通量は同じです。通貨発行権を持つ唯一の江戸幕府が小判100枚を鋳造したら、新たな鋳造が無い限りは流通量は100枚のままです。幕府がお金がないけど支出をしないければならない場合、流通している100枚から借りてこなければいけません。越後屋から10枚借りてきて三河屋に10枚支払ったとしても、小判10枚が移動しただけで全体の流通量は100枚のままですね。そして幕府は流通している100枚から10枚集めて越後屋に返さなければいけません。まさに借金です。経済学者のほとんどはこの昔のお金の仕組みで経済理論を考えていたのですよ・・・・

そこに今のお金の仕組みを理解しているMMT学派が出てきたのです。上記の例を今のお金の仕組みにするとこうなります。

・政府は10億円の支出をしなければいけない。しかし手元にお金が無い。そこで10億円の国債を発行する。
・政府が受け取れるお金は日銀当座預金だけなので、それを持っている組織しか引き受け出来ない。
・日銀当座預金は文字通り統合政府の片割れである日銀が発行しているお金だ。
・しかし法により日銀の直接引き受けは制限されている。
・そこで日銀は民間銀行に日銀当座預金を渡して国債購入を引き受けてもらう ※1
・民間銀行の越後屋銀行が10億円の日銀当座預金を政府に渡して国債を引き取る ※2
・政府は10億円の日銀当座預金を手にした。

今のお金の仕組みを知らない経済学者はこの日銀当座預金を支払い先に渡せばよいを考えますが、それが出来ないのですよ。アベノミクスの量的緩和の失敗はまさにここです。

・日銀当座預金は日銀に口座を開いている組織だけで使われている数字だけのお金だ。
・支払先の三河屋は日銀には口座を持っていないので渡すことが出来ない。
・そこで三河屋が口座を開設している越後屋銀行に10億円の日銀当座預金を渡す ※3
・越後屋銀行は信用創造によって三河屋の口座に10億円の預金通貨を発行する。

これで支払いは完了しました。さて結果的に世の中のお金はどうなったでしょうか???
日銀ネット内でしか使えない日銀当座預金は※1.2.3の流れで日銀→越後屋→政府→越後屋であり10億円の日銀当座預金に変化はありません。それどころか10億円の日銀当座預金を作り出したのが統合政府の片割れです。片手で国債を発行して、片手でお金を発行して、越後屋に渡して国債を引き受けさせています。しかも越後屋は日銀に10億円の借金をしています。

越後屋は政府から10億円の日銀当座預金を受け取り、代わりに預金通貨を10億円発行していますので、最終的に預金通貨という実態経済で使用されているお金が10億円増えました。ここが昔のお金の仕組みとの違いです。政府が国債を発行して調達したお金を使うことで、世の中のお金が増えるのです。つまり国債発行とは通貨発行なんですね。これは今のお金の仕組みの1例ですが、我々庶民はもとより政治家も官僚もそして経済学者のほぼ全てもこの仕組みを知らなかったのです。2年ほど前からMMTが世界中に拡散されだしています。まさにヒストリーメイカーになる学問です。


ケインズ的中

ヒストリー的中

これで30年間続いたデフレ不況から回復出来るでしょう。

中山11R 倭国の大乱

自国の歴史を知れば ますます日本が好きになる!

ヒストリーメイカー2

馬名意味:新しい歴史を築く者

前回の記事:http://netkousakuin.blog93.fc2.com/blog-entry-43.html

前回は明治天皇の玄孫(やしゃご)でもある竹田恒泰さんの「天皇の国史」から、反日歴史学者が唱える欠史八代辺りのお話を考古学的見地も踏まえた竹田説を紹介しました。今回はそんな竹田さんの親友であった故竹内睦泰さんの「古事記の邪馬台国」および「古事記の宇宙」から紹介します。竹内さんは第73世武内宿禰であり南朝の血を引くお方です。竹田さんは北朝です。

竹内さんの内容は古事記の参考資料になった「帝皇日嗣」が元になっているようです。この書は一般的には喪失してしまって現在は残されていないと言われますが、写本は今でもあるそうです(古事記の宇宙 P20)竹内さんの本には各天皇の即位年まで書いてあるのですが、初代神武天皇のご即位はAD57年となっています。以前紹介した長浜浩明さんの大阪平野の地質学から研究された説によると、神武東征に出てくるナガスネヒコとの戦いの場面は大阪平野がまだ河内潟の時代であり、その後の河内湖時代では起きないと説いています。河内潟の時代はBC1050~BC50年であり、河内湖時代はAD150~350年ですので結構合致しますね。竹田さんは紀元前後くらいと考えていますので三人ともほぼ一致しています。

竹内さんの説で重要なのは、天皇家は最初から祭祀王と統治王に分かれていたという点です。神武天皇は統治王で皇后の伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)が祭祀王。続く綏靖時代には弟の建沼河耳命(タテヌナカワミミノミコト)が統治王(綏靖天皇)で兄の神八井耳命(カムヤイミミノミコト)が祭祀王みたいな感じです。考古学的にこの時代は弥生時代であり、全国的に(九州~関東)では青銅器を使った祭祀が行われた時代ですので、政治や行政を行う統治王と青銅器祭祀を行う祭祀王がいるのは自然と理解出来ます。しかし、そんな時代に変化が生じるのです。

現在の岡山県にあたる吉備と、現在の島根県にあたる出雲及びその勢力圏であろう北陸地方が青銅器祭祀をやめて古墳を作り出します。前方後円墳ではなく四隅突出型古墳などです。これは祭祀を中心とする共和制から王を中心とする王権制に移行したのでは?と考えられます。天皇でいえば孝昭、孝安、孝霊、孝元の四代です。この時代には名前に吉備の付く子供たちが出てきており、吉備と大和との戦があったそうです。時代は140~186年のことですが、この時代は倭国の大乱の時代と重なります。後漢書・東夷伝によると桓帝から霊帝の時代とあるので146~189年の出来事ですので一致します。この4代の天皇の事績が少ないのは、戦いに忙しかったからであり、諡号に全て孝が付くのも時代背景が同じだからでしょう。

倭国の大乱が収まると大和地方にも古墳が誕生します。ホケノ山古墳などです。大和だけでなく青銅器祭祀を行っていた他の地域も古墳を作る祭祀形態に移行します。吉備ではそれまで出雲と共通の祭器が使われていたのですが、倭国の大乱後は大和から譲られたと思われる祭器(鏡や鉄剣や鉄鏃)が出土することから、戦いに敗れて吸収されたと思われます。そんな中で出雲及びその勢力圏だけは独自古墳文化を維持するのですが・・・・・やがて大和の文化に吸収されます。恐らくこれが出雲の国譲りでしょう。

つづく



考古学的見解はこちらを参考にしました

小倉6R 岩倉具視

自国の歴史を知れば ますます日本が好きになる!

ソンノウジョウイ

1回目の記事:http://netkousakuin.blog93.fc2.com/blog-entry-25.html
2回目の記事:http://netkousakuin.blog93.fc2.com/blog-entry-34.html

今回は明治維新の立役者の中でも異彩の公家である岩倉具視です。
新政府樹立時で、まだ伊藤博文など明治の元老が登場する以前に維新十傑なる面々がいました。
薩摩では西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀、長州では大村益次郎、木戸孝允、前原一誠、広沢真臣、肥後では江藤新平、横井小楠でありお公家さんとしては唯一岩倉が入っており、このメンバーで最後まで生存したのも岩倉でした。とは言え江藤は佐賀の乱、前原は萩の乱、そして西郷さんは担がれて西南戦争と内乱の首謀者になっており複雑です・・・・

岩倉は下級公家で本来なら天皇の傍になど居られないどころか、会議にすら出れない身分でしたが関白・鷹司政通への接近で政治への糸口を掴んでます。この辺は藩主の囲碁好きを利用してきっかけ作りをした大久保と同じ作戦です。岩倉はお公家さんには必須の歌から入り自分の才能を認めさせています。岩倉と大久保は岩倉が蟄居中に密に連絡を取り合い倒幕へと動きます。

岩倉は幕府が許可なしに結んだ日米修好通商条約に孝明天皇が反対していることを見抜き、88人の下級公家を引き連れてクーデターを起こしたり、皇室と幕府を繋ぐ和宮降嫁の公武合体をやったりと世をあっとさせます。王政復古の大号令もそうですし幕府の敗北を決定づけた錦の御旗も岩倉の考えです。しかも大政奉還の直前まで蟄居処分の身であり、敵対勢力から命を狙われる日々の中で世の中の流れを読みながら作戦を立てていたのです。こんなお公家さんは他にいません。

そんな岩倉ですが晩年は喉頭がんになりますが、我が国最初のがん宣告だったようです。そんな岩倉の元に明治天皇は見舞いに行くのですが、これも異例中の異例です。家臣の病に対して手紙や使者を送ることはあっても、陛下自ら見舞いに行きすぐ近くまで身を寄せるなど当時は考えられませんでした。

岩倉と明治天皇

このあと岩倉具視は59年間の生涯を閉じました・・・・・・
これにより維新十傑がみんな他界したので、明治天皇は維新の気持ちを忘れぬようと元老を置いたようです。
その元老たちが憲法制定、国会開設、そして日清・日露の戦いと明治天皇の元で、有色人種のリーダーとなっていくのです。

つづく
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